腐女子解体新書

腐女子による腐女子のための腐女子考察

地雷芸人について

数回に渡って、Twitter腐女子界隈に巣くう地雷芸人について書こうかと思います。


地雷芸人を知ったのは今ほど数も多くなく「地雷芸人」という名称さえ浸透してなかった頃です。その頃はジャンル名もカプ名も伏せ、苦手なものを愚痴るだけで、中には同意できる意見や図星をついているつぶやきも多かったので、よく暇つぶしにのぞいていました。


しかし最近になって突如増えだした新しい地雷芸人たちは、ターゲットにリプを飛ばさず、スクショで晒しあげ仲間内で共有し叩くというやり方で、こうなってくると2ちゃんの名無しと何ら変わらない。
やり口の汚さが目に余るようになり、新しい地雷芸人に関しては腐女子のイメージを悪くするだけで害悪でしかないと思ってます。


オタクや腐女子は自己顕示の強い人の集まりですから、自分も含め、僻みや嫉妬や不満や愚痴は抱きますし、親しい人にはオフの場でこぼしたりしてます。
でも結局は「人それぞれ」で諫めるしかなく、自分の主張やこだわりは人には強要できない、どれが正義でどれが悪かなんて断罪する資格はないというところに落ち着くしかないのです。
であるから、普段は好きなものにエネルギーを使い、気に入らないものはなるべく目に入れないようにしているわけです。


ところが、今の地雷芸人および自分の気に入らない趣味の人に対し、匿名で攻撃してる腐女子や女オタクは、自分のオタ趣味を負の方向にしか使ってないし、他人の趣味嗜好や動向のほうが気になるというのであれば、ぶっちゃけオタクに向いてないと思うのです。


だけど、どうしてこういう人がオタクに多いかといえば、恐らく本人の育った環境からオタ趣味にしか逃げ場がなく、オタクにしかなれなかったからではないかと思うのです。


というのも、最近の地雷芸人の一部に、既婚者や子持ち、リア充であることを叩きや愚痴の合間に挟んで、アピールをしてる人が多いからです。
これらをアピールすることが唯一のマウントであり、少なくとも他の腐女子より優れていると思っての情報提供であるとしたら、むしろそんな「人並み」のことでしかマウント取れない人生とはどれだけ自慢できるものが少ないのか、自ら晒しているわけで痛ましすぎて見てらんないというか、涙を誘うほど気の毒な人だなという気持ちになるわけです。


既婚者だろうがリア充だろうが、そんなことは一般から見たら当たり前のことです。自慢にも何にもならんしろものです。
常識がある腐女子ならオタ趣味と無縁なプライベートを晒さないだけ「あえて」言わないでいるだけなのに、それを「言わないということは彼氏いない歴年齢の喪女」と勝手に決めつけて思いこんでいる時点で頭大丈夫?と思ってしまいます。


今の地雷芸人の大半は、不満をばらまき気に入らない腐女子を攻撃し、それを周囲は奇異な目で眺めているなんて夢にも思わず、むしろ自分たちの行いは正義であり、共感されるべきだと思い込んでいるのなら、役所の窓口で言いがかりのクレームをつけてるおばさんやおじさんと何も変わらない存在だと思います。