腐女子解体新書

腐女子による腐女子のための腐女子考察

美しい魂とブルドーザー

「喜ぶ人より不愉快に思ったり、そのつもりはなくても無意識に傷つけてるかもしれない」を前提に作品を描くことが多いので、褒められたりすると、予想外すぎて困ってしまいます。
下手に批判慣れしてるので、悪口程度なら言われても気にしないくらいに神経が図太いせいもあります。あと被害妄想というより、嫌われ者だと勝手に思い込む癖があります。


ですが、世間を見渡すと逆の腐女子の方が圧倒的に多い。
同人誌は自己満足の塊の筈なのに、他人の評価に振り回される人がものすごく多い。
作品で人を幸せにすることが、たやすくはないように、当然、自作もそう思って描いています。反応や感想がないのは当たり前。ないのは、人の心に響かなかった自分の力不足のせい。そう思えば悩む必要もない。
単に私が叩かれ慣れしすぎているだけかもしれませんが、世の腐女子は圧倒的に叩かれた経験の方が少ないのだと思います。


ところで、人の作品を悪く言う人ほど自分の作品を貶されると発狂するのを何度も目の当たりにすることが多く、その度に結局この人にとって他人を貶すことは、全て自己愛からくる妬みと嫉妬なんだなあと思ったりするわけです。


なんて醜く、美しくないのだろう!


私はBLが「お耽美」と呼ばれてた頃から接してた人種ですから、美しくないものは許せないです。特にこういう醜い豚みたいな思考。


論理的に考えると、自分を悪く言う人に発狂する場合、その主張は「万事どのようなものも他者によって貶されてはならない」といった素晴らしい博愛精神が根底になくてはならない。
これは美しいですし矛盾もない。
ですが、実際庇うのは自分だけという点で、単に醜い自己愛でしかなくなるわけです。


もっとも私自身は美しい魂の持ち主ではないので、好きになれない作品も嫌いな作品も山ほどありますし、オフでは愚痴ったりもします。
人の作品を悪く言う以上、自分の作品も貶されてるのは当たり前、貶されれば必然として流します。


自作を悪く言われて発狂する人は、その自己矛盾から脱却するために、全ての作品の好き嫌いの概念を捨てるか、それが無理なら私のように、好き嫌いがある以上、自身も悪く言われることを承知した上で悪口を言うべきです。


どうしてこんなことを書いたかと言うと、矛盾した性格の人は自己愛と自尊心のせいで、必ず人に迷惑をかけるブルドーザーだからです。